秀久、小田原の役参戦

 浪人となった秀久は、高野山に寓居したり、京都や大坂の旧知を訪ねたりしていたという。そして、天正18年(1590)豊臣秀吉の北条氏攻撃すなわち小田原の役には、九州での汚名を挽回すべく、故郷美濃に帰って20人程の旧臣を集め秀吉軍に断りなしに加わる。その際、徳川家康にとりなしを頼んだともいう。
 この合戦での秀久の勇猛な働きに感じ入った秀吉は、その忠勇に免じて先の罪を許し、秀久に小諸城(佐久郡一円)を与えたというのである。(以上『改選仙石家譜』による)

両祖出陣の図 第8

 豊臣秀吉が、北条氏攻撃にのぞむ将兵を閲兵したおりの、仙石秀久主従の姿。先頭に紺地に無の字を白く抜き出した旗を押し立てて進む様を描いている。この合戦のおり秀久隊は、この旗を掲げて奮戦したと伝える。
 この絵は「道樹・宗智両祖出陣之図」と題して、秀久(道樹)と忠政(宗智)の活躍を描いたものの一つである。全体では10幅の軸に19場面があらわされている。箱書きによると、弘化年間(1844〜47)に出石城を訪れた佐藤理三郎という江戸の絵師の作という。仙石家旧蔵。
(当館蔵)