本陽寺 −上田市鍛冶町−

本陽寺の秀久室本陽院の墓

 2代忠政の生母でもある秀久の正室は、野々村伊予守幸成の女〔むすめ〕という。野々村氏は仙石氏と同じく美濃出身で、大坂の陣には大坂城に籠城して、その家は断絶したと伝える。(刪補仙石家譜)
 文禄5年(1596)死去、法名を本陽院殿槃室妙栄大禅定尼という。その冥福を祈るために建てられたのが本陽寺で、もとは小諸にあったが、仙石氏上田転封により、現在地に移されたものである。
 墓は同寺本堂裏の仙石家墓所にある。江戸時代初期に流行した大型の宝篋印塔で、その総高265cm。「当寺開基本陽院殿――」と刻む。


本陽院所用の薙刀〔なぎなた〕

 本陽寺に伝来したもので、本陽院殿所用と伝える。
 刃渡り40cm、茎〔なかご〕に「武州下原住広重」との銘がある。柄は長さ188cmで、永楽銭紋と桜九曜紋を交互に配している。桜九曜紋も仙石家家紋の一つであるが、同家では女性がこの紋を使っていた(重田阿幾子氏談)という。
(上田市鍛冶町 本陽寺蔵)