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仙石忠政画像
甲冑に身を固めた姿で、背後に金幣の馬印を立てている。この馬印と同じものであろうか、仙石家伝来の忠政所用という金幣馬印が現存する。(下の写真)
仙石家旧蔵資料。
(出石町教育委員会蔵)
仙石忠政金幣小馬印〔きんぺいこうまじるし〕
仙石家旧蔵品で忠政所用と伝わる金幣(金色のぬさ)の馬印。箱書きには「忠政公御小馬印金幣」とある。出石神社蔵の秀久所用金幣馬印に対して「小馬印」と称したものであろう。(当館蔵)
忠政、小諸領襲封
慶長19年(1614) 7月20日
酒匂清兵衛・恵崎又左衛門宛仙石忠政書状
父秀久の死により家督を相続し、佐久郡を改めて拝領した忠政が、その礼に駿府在住の大御所徳川家康のもとに出向いたおり、国元の家臣宛てに出した書状。包紙に「忠政様御自筆之書」とあるとおり、自筆とみられる。
『元和年中 仙石忠政家臣分限帳』には、恵崎又左衛門は禄高300石、酒匂はその子かと思われる十三郎が同200石となっている。両名ともに郡奉行〔こうりぶぎょう〕に相当する職務にあったものであろうか。
領内の諸事についてしっかりと法度〔はっと〕(おきて)を立て、みだりがましいことのないようにと強調しているが、それにつき「秀久公御仕置を返し申すにあらず候へ共・・・・」と父秀久の治政に批判的であったかのようにもとれる表現をしている点が注目される。
また返り百姓(戦国の争乱、貢納不能等により一旦逃亡した後、故郷へ帰った農民)と一般の百姓間等の争論については、忠政が小諸に帰城してから沙汰を申し付けるから、それまで待つようにとも命じている。
代替りにあたっての忠政の清新な心意気のほどがうかがえる史料である。
(『仙石家文書』上田市岩下 若林勅滋氏蔵)
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