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| 加舎白雄の経歴はおよそ次の通りです。元文3年(1738)上田藩士加舎忠兵衛の次男として、江戸上田藩邸で生まれましたが、早くに両親を失い藩邸を出ました。そして明和2年(1765)白雄二十八歳のとき、松露庵烏明〔しょうろあんうめい〕の門をたたき俳諧の道に入り、後に烏明の師鳥酔〔ちょうすい〕について学びました。安永5年(1776)事情があり烏明と決別し、同9年(1780)日本橋鉄砲町に春秋庵を創設、俳諧師として独立しました。白雄四十三歳のときです。その後、春興帖『春秋稿」を刊行、無私の論による俳諧の実践、俳諧論『加差里那止〔かざりなし〕」『寂栞〔さびしおり〕』を執筆するなど、俳諧の師匠としての実績を積み、門弟数千人に及び、江戸中期、屈指の俳諧師になったと伝えられています。なお白雄は、寛政3年(1791)9月、江戸の地で五十三歳で没しています。 また郷里である上田との関係では、明和7年(1770)に信州の俳人を中心に処女撰集『おもかげ集』、明和8年(1771)に春興帖『田ごとのはる』を刊行しています。信州にも門弟はかなり多くいたようですが、上田地方では小島麦二〔ばくじ〕、児玉左十、成澤雲帯〔うんたい〕、岡崎如毛〔じょもう〕、荒井三机〔さんき〕、荒井争茂〔そうも〕、小島玉馬〔ぎょくば〕、伊藤文〔ふみ〕か、池田家副〔かふく〕、宮本虎杖〔こじょう〕、飯島路一〔ろいつ〕、倉田葛山〔かっさん〕などが注目される弟子としてあげられましょう。 |
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