仁科盛政起請文

提出者名
仁科盛政
宛名
跡部大炊助殿

仁科にしな氏は信州安曇あずみ郡北部(大町市)に古代から大きな勢力を持っていた豪族である。 天文十九年七月信玄に降る。『甲陽軍鑑』では、甲州油川原の五郎殿(仁科五郎信盛)が継いだとある。

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起請文

漢字

敬白 起請文之事

一此已前奉捧侯数通之誓詞、弥不可
致相違之事

一奉対 信玄様、逆心謀叛等不可相企
之事

一為始長尾輝虎、従御敵方以如何様之
所得申旨侯共、不可致同意候事

一甲・信・西上野三ヶ国諸、雖逆心
企、於某者無二ニ奉守 信玄様御前、
可抽忠節之事

一今度別而催人数、無表裏、不渉
二途、可抽戦功之旨可存定事

一家中之者、或者甲州御前悪儀、或
病意見申候共、一切不可致同心事

右之旨少茂偽者、
上者梵天・帝釈・四大天王・内海外海龍
王龍神、殊ニ者王城之鏡守賀茂・春日・
稲荷・祇薗・松之尾・平野・梅宮・天満
大自在天神、至于関東者伊豆箱
根三嶋三当・鹿嶋・取・富士浅間大
菩薩・甲州一二三之明神・国立橋立、当
園之鎮守諏方上下・小野南北大明神・
飯縄戸隠両所権現・八大菩薩、惣而日本
国中大小之神祇明道之蒙御罰、於今
生者黒白二病請、於来世無間可致堕
在者也、仇如件、

八月七日永禄十年仁科盛政(花押)(血判有)

跡部大炊勝資助殿

訓読

敬白起請文けいはくの事

意趣いしゅ

自今じこん以後、今井次郎左衛門尉いまいじろうざえもんじょう入魂じつこんに致すまじぐ侯。内陣屋ないじんや・甲州宿所しゆぐしょへ出入りつかまつるまじきの事

向後朋友きようごほうゆうの調ならびに徒党立て仕るまじきの事

一御屋形様へ対したてまつり、いささか御後闇おんうしろぐらき覚悟存すべからず候の事、し右にいていつわり侯
はば、

梵天ぼんてん帝釈たいしやぐ四大天王しだいてんのう八幡大菩薩はちまんだいぼさつ・富士浅間せんげん大菩薩・諏訪上下大明神すわしようげ三嶋みしま大明神・いい縄戸隠大権現づなとがくしことには甲州一二三大明神の御ばつこうむり、今世こんせいに於いては癩病らいびょうを受け、来世らいせにては無間むけん堕在だざい致すべきものなり。ってくだんごとし。

現代語訳

つつしんで起請文きしょうもんを申し上げます。

一これ以前にささたてまつった数通の誓詞せいし(起請文)について、これからも、ますます相背あいそむくようなことはいたしません。

一武田信玄様に対し奉り、逆心ぎゃくしんをもち、また謀反むほんなどをくわだてることは致しません。

長尾輝虎ながおてるとら(上杉謙信)をはじめ敵方てきかたより、どんな利益りえきをもってさそわれても、敵方には、同意致しません。

一甲州・信州・西上州三か国の諸卒しょそつが逆心を企てても、私は一心に武田信玄様をお守り申し上げて、忠節ちゅうせつくします。

一このたびは、特に人数を動員して、表裏ひょうりなく、余計なことは考えずに戦功せんこうはげむ決心です。

家中かちゅうの者が、甲州の武田信玄様のために悪いようなことや、臆病おくびょうな意見を申しても、一切いっさい同意するようなことは致しません。

 右のむねに少しでもいつわるようなことがあれば、

上は梵天ぼんてん帝釈たいしゃく四大天王しだいてんのう内海外海龍王龍神りゅうおうりゅうじんことには王城の鎮守賀茂ちんじゅかも春日かすが稲荷いなり祇園ぎおん松之尾・平野・梅宮・天満大自在天神てんまんだいじざいてんじん、関東に至っては伊豆箱根三嶋三当いずはこねみしまさんとう鹿嶋かしま香取かとり富士浅間大菩薩ふじせんげんだいぼさつ・甲州一二三の大明神・国立橋立、当国の鎮守諏訪ちんじゅすわ上下・小野おの南北大明神・飯綱戸隠両所権現いいずなとがくしりょうしょごんげん八幡大菩薩はちまんだいぼさつ、すべての日本国中大小の神々の天罰てんばつこうむって、においては難病なんびょうにとりつかれ、来世らいせにおいては無間地獄むげんじごくにおちることになります。以上。

永禄えいろく十年丁卯ひのとう八月七日

仁科
盛政(花押)(血判有)
    
跡部大炊(勝資)助殿

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起請文一覧表

起請文一覧
番号 起請文提出者
01 武藤神右衛門尉常昭起請文プレーヤー
02 長坂源五郎昌国起請文プレーヤー
03 三枝宗四郎昌貞起請文プレーヤー
04 小山田兵衛尉信茂
05 安中左近大夫景繁
06 仁科盛政起請文プレーヤー
07 今福市左衛門尉昌和
08 浅利右馬助信種
09 室賀山城守信俊
10 小泉喜泉斎重永・小泉内匠助宗貞
11 望月遠江守信雅
12 板垣左京亮信安
13 六郎次郎信豊
14 小笠原下総守信貴
15 吉田左近助信生
16 刑部少輔信廉
17 海野三河守幸貞
18 小幡三河守信尚
19 横田拾郎兵衛丞康景
20 小幡右衛門尉信実
21 小幡左衛門大夫兼行
22 浦野左衛門尉幸次
23 跡部雅楽助昌長
24 原甚四郎昌胤
25 両角助五郎昌守
26 大嶋五郎左衛門尉長利
27 後閑伊勢守信純起請文プレーヤー
28 一宮兵部助氏忠
29 座光寺三郎左衛門尉貞房
30 野村主水佑勝英
31 大井式部大輔信舜
32 大井右京亮信通
33 大井源八郎昌業
34 高田大和守繁頼
35 松鷂軒常安
36 高山山城守行重
37 麻績勘解由左衛門清長
38 和田兵衛大夫業繁
39 高山彦兵衛尉定重
40 片切源七郎昌為
41 梅隠斎等長
42 大熊新左衛門尉長秀
43 依田又左衛門尉信盛
44 大井小兵衛満安
45 小林与右兵衛幡繁
46 上穂善次為光
47 飯嶋大和守為方
48 海野伊勢守幸忠
同 平八郎信盛
49 室賀治部少輔経秀起請文プレーヤー
同 常陸守正吉
同 甚七郎吉久
堀田豊後守之吉
50 熊井土対馬守重満
弾正左衛門尉信高
佐馬助高政
自徳斎道佐
能登守行実
51 松本丹後守吉久
同 縫殿助定吉
友松将監行実
52 高山八郎三郎泰重
馬庭中務少輔家重
酒井中務少輔高重
53 依田兵部助隆総
桃井蔵人佐頼光
塚越新助重定
54 甘利郷左衛門尉信康
城和泉守景茂
今井九兵衛昌茂
玉虫助大夫定茂
六嶋六右衛門尉守勝
55 猿渡宇左衛門尉満繁起請文プレーヤー
和田佐渡守業政
富所彦次郎業久
56 簗賀縫殿助吉久
荻原民部定久
同 図書助長久
同 玄蕃允重吉
野口佐渡守成吉
戸塚大蔵重吉
57 小林五郎左衛門尉盛重
大井甘助高幸
小林図書守業吉
上田七郎兵衛常善
小林新助秀永
小海宮
58 馬場小太郎信盈
青木右兵衛尉信秀
山寺源三昌吉
宮脇清三種友
横手監物満俊
青木兵部少輔重
59 依田長門守頼房
楽厳寺雅方
依田
篠沢新九郎雅
布下仁兵衛雅朝
諸沢堪介信隆
60 羽中田民部右衛門虎具
鮎沢八郎右衛門尉虎守
鮎川清三郎昌尚
61 安中五郎兵衛家繁
同名刑部助繁勝
62 松本総右衛門尉重友
同 膳右衛門尉行定
須藤縫助殿久守
63 市川兵庫助景吉起請文プレーヤー
小沢源十郎行重
市川四郎衛門重久
同 四郎兵衛貞吉
縣河彦八郎直重
高橋左
64 小河原右馬助重清起請文プレーヤー
神保小次郎昌光
65 黒沢駿河守重慶起請文プレーヤー
同 出羽守定吉
同 掃部助光吉
同 兵衛尉重家
土屋上総守重綱
66 桑原式部少輔康盛起請文プレーヤー
塔原藤左衛門宗
城内二助貞維
山崎善七郎
同名藤五郎貞吉
67 山口大炊助高清起請文プレーヤー
新五郎高貞
高瀬与兵衛能業
上条権助高業
武河左近助実吉
同 又右衛門尉高
68 諏方右近助豊保
諏方左衛門尉頼運
大輪監物勝親
高出左兵衛昌海
知久次郎左衛門遠包
飯嶋出
69 麻績市尉光貞起請文プレーヤー
関岡宮内右衛門光助
関又助光吉
70 岩下駿河守幸実起請文プレーヤー
同名新十郎長高
同名源介幸広
塔原織部幸知
大口右馬介 辰
小 助忠助
71 小笠原新八郎長記
同名 孫十郎長和
同名 甚十郎長穂
下枝田右衛門尉久綱
常葉平左衛門尉定満
72 海野左馬亮幸光
常田七左衛門尉綱富
尾山右衛門尉守重
桜井駿河守棟昌
小艸野若狭守隆吉
73 浦野宗波軒信慶起請文プレーヤー
同弥三左衛門尉政吉
同新左衛門尉貞次
同右衛門幸守
同久右衛門尉吉忠
浦野
74 半右衛門尉
平介
惣二郎
四郎右衛もん
弥六郎
藤右衛門尉
忠介
藤三
75 堀金平大夫盛広
古厩平三盛隆
渋田見源介政長
沢渡兵部助盛則
日岐盛次
穂高左京亮盛棟
76 小幡彦太郎具隆
77 伴野左衛門佐信是
78 麻績勘解由左衛門清長起請文プレーヤー
79 大日向上総介直武
80 赤須二郎三郎頼泰
81 伴野三衛門尉
飯嶋与兵衛尉為政
片切二兵衛尉為房
82 野沢四郎兵衛康光
伴野善七郎君家
同名東青軒如心
下村新右衛門尉重守
同名与左衛門尉満幸
83 牛田善右衛門尉真綱
奥秋加賀守房吉
小林和泉守房実
河村治部左衛門尉房秀
その他の古文書一覧
84 武田信玄安堵状起請文プレーヤー
85 丸子良存寄進状起請文プレーヤー
86 武田信玄願文起請文プレーヤー
87 壱岐・三かわ連署願文起請文プレーヤー
88 真田昌幸朱印状起請文プレーヤー
89 平盛幸願文起請文プレーヤー
90 工藤美作守等連署定書案起請文プレーヤー
91 小幡信繁願文起請文プレーヤー
92 真田信幸寄進状起請文プレーヤー
93 真田信幸朱印状起請文プレーヤー
94 下之郷供僧社人目安案起請文プレーヤー

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参考資料:信濃史料、信玄武将の起請文、上田市誌「歴史編・文化財編」から引用しています。