| 1912〜 | - フランスへ遊学 - | 山本鼎の生涯 ▼ | |
| 1912(〃45) (大正1) |
30 | 2月19日、本籍を長野県小県郡神川村大屋183番地に移す。 4月15日、石川啄木の葬儀(浅草・松清町等光幸)に白秋とともに会葬。 7月6日、神戸港から丹後丸で渡仏の途につく。 8月20日マルセイユ着、同24日パリ着、和田玉造、満谷国四郎と会う。 ファルギュールの貸しアトリエに住む。 11月、エコール・ド・ボザールに入学、エッチングを学ぶ。木版工房の仕事をする。版画『野鶏』「デッキの一隅」「支那の女」など制作。 |
|
| 1913(大正2) | 31 | 3月、小杉未醒パリ着、しばらく行動をともにする。 6月、油彩「静物」「裸婦」 7月6日、ブルターニュヘ行き、8月20日まで滞在。油彩「ブルターニュの夏」ほか、版画「ブルターニュの小湾」「ブルターニュの入江」「水浴」ほか。 10月、島崎藤村を知り親交。 12月、「パリ通信」(『美術新報』『美術週報』)。帰国する小杉未醒に村山槐多の世話を頼む。 |
|
| 1914(〃3) | 32 | 3月23日、「画大小五十枚、版画十五種を巴里にて作り居り侯」(両親への手紙) 9月5日、第一次世界大戦始り、ロンドンヘ移る。 アパートに住む。藤川勇造と同居。年末パリに戻る。油彩「パイプをくわえた自画像」「セーヌの朝」ほか。版画「リュクサンブール公園」「サンマルタンの冬」 |
|
| 1915(〃4) |
33 |
2月、エコール・ド・ボザールに通学再開。 7月、ベトイェに滞在。 8月、パリヘ戻る。 10月、リヨン市に滞在、油彩「リヨン郊外」ほかシャバンヌ、コロ-の作品を模写する。 |
|
| 1916(〃5) | 34 |
3月18日、リヨン市を出発。一カ月間イタリアを旅行。 |
|