| 1921〜 | - 自由画教育運動の展開 - | 山本鼎の生涯 ▼ | |
| 1921(大正10) | 39 | 1月、「芸術自由教育」誌創刊。同誌に「自由画教育の反対者に」などエッセイの発表多い。「山下新太郎論-清潔で敏感」(『中央美術』)。 2月、九州日報社主催の自由画展。 2月15日、著書『美術家の欠伸』(アルス)刊。 2月20日、群馬県高崎市の自由画展で講演。この後、長野県下伊那郡座光寺小学校で自由画展。 3月、千葉県北条で倉田白羊がよびかけ自由画展、参考品持参。第二回農民美術講習会終わる。 4月、自由学園、美術科主任に就任。 4月17日、長野師範学校で農民美術展開かれ講演。 5月、千葉師範付属小学校。山梨師範付属小学校で講演、東京農業大学で自由画展。 6月、「モスクワの画堂」(『中央美術』)。東京・日本橋三越で第二回農民美術品即売会、続いて大阪、三越で開催。埼玉師範付属小学校図画研究会で山崎省三とともに講演。横浜市立浦島小学校で講演。 8月、「高村豊周君に」(『中央美術』)。自由教育夏期講習会(軽井沢町星野)を主宰、「美術教育と小中学」と題し講演。埼玉県児玉小学校図画研究会で講演。旧師桜井虎吉創業の清和堂印刷所救済のため奔走。 12月10日、著書『自由画教育』(アルス)刊。農民美術練習所「蒼い屋根の工房」大屋に完成。 |
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| 1922(〃11) | 40 | 1月14日、春陽会設立に参加。 4月、農民美術講習修了者による生産組合を組織。 5月、東京・日本橋三越にて第三回農民美術品即売会。 7月、細川護立、森村開作、岸本吉左衛門らの寄付を得る約東ができ、国鉄信越線大屋駅北側に日本農民美術研究所の設立を決定、設計者滝沢真弓、年末までにほぼ完成す。 |
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| 1923(〃12) | 41 | 1月、第二期農民美術講習を新築した研究所にて開始。 4月12日、研究所開所祝賀会。 5月、第一回春陽会展に「唐松の図」出品、同展会計担当。 6月、「春陽会の位置及其第一回展」(『中央美術』『美術清談』)。東京市外大森新井宿1394に転居。 7月6日から8月14日、愛知県に寄り北九州を講演旅行。 12月、東京・銀座資生堂にて農民美術展。 |
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| 1924(〃13) | 42 | 2月、北原義雄、藤本韶三と新美術雑誌を計画。『アトリエ』創刊、創刊号の表紙絵描く。「冬の画材」「吾が画壇の騎将|梅原龍三郎君」(『アトリエ』)以下号を追って平福百穂、藤川勇造、山下新太郎、長谷川昇論を掲載。 3月、「展覧会ののち」(『春陽会パンフレット』)。春陽会展に「くぬぎ山」ほか一点出品。 4月、「小児の図画」(『アトリエ』)。農商務省の委嘱により台湾の工芸品調査。 5月、「バイワンの彫刻」(『アトリエ』)。 7月20日、白井喬二「富士に立つ影」さし絵描き出すが多忙のため河野通勢に後継を依頼。 8月8、9日、農商務大臣官舎で農民美術展。 9月、東京に日本農民美術研究所出版部を設け『農民美術』誌創刊(九号まで)。三土忠造の紹介で岩崎小弥太を知り、資金援助を依頼。「農村副業の新生」(二回)「いろいろな木彫人形」(『農村美術』)。 10月、「農村新副業の一とつ」(『副業』)。「黒田先生の作品」(『アトリエ』)。浅川村副業講習会(東京・西多摩郡農会主催)で講師。 11月、表紙画、「変った手工芸的副業」「タラスキーの農民美術」(『農民美術』)「帝展の印象」(『アトリエ』)。農民美術研究所を通年の甲種講習生と農閑期の乙種講習生とに組織替えをする。 12月、「油絵について」(『アトリエ』) |
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| 1925(〃14) | 43 | 1月、「少女のクロッキー」(『アトリエ』)。「台湾蛮族の手工芸」(『農民美術』)。桜商会にて考案したクレパスを発売することになり、同社役員に推される。 2月、「ロシアの農村工芸」(『農民美術』)。「デッサンの話」(『アトリエ』)。「農民美術の話」「木彫人形の話」『実用平工芸講座』(農美研東京出張所出版部)刊。「美術家のグループとその生活」(『アルス美術大講座』)。 3月、「浅川村の講習会」(『農民美術』)。東京・大森源蔵原1610の白滝幾之助邸を買い転居。 5月、「麗人社第二回展を観る」(『みづゑ』)。「油絵と新緑」(『アトリエ』)。 8月、第一回夏期工芸学校(農美研究所)開催、翌年第二回。「自由学園の美術科」(『アトリエ』)。 10月、「二科を観る」(同誌)。 11月8日、長男太郎生まる。「美と子供の眼」=大竹拙三編『画家の児童画観』(目黒書店)刊。「未開国人の図案」(未祥) |
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| 1926(〃15) (昭和1) |
44 | 1月6日、農民美術後援会(東京、丸の内工業倶楽部)。 4月、春陽会展に「台湾の少女」「梅」「梅」「松林」出品。 「春陽会第四回展」(『アトリエ』)。燕巣会第一回展(日本橋、丸善)に参加。 6月、『農民美術科』誌復刊。 8月、「巻頭書」(同誌)。 9月、「木口木版の練習」(同誌)。 12月、日本農民美術研究所産業部東京出張所を芝区佐久間町2丁目18番地に開設。 「パリ幼稚園の図画教育」(未詳) |
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| 1927(昭和2) | 45 | 3月、「ステッキと巻痕盆」(『工芸時代』)。「風景スケッチ法」=「油絵新技法講座」(アルス)刊。 4月、春陽会展に「雪の常楽寺」「独鈷山雪景」出品。第二回燕巣会展に「蔬菜図」「雪の松山」出品。 6月、明治大正名作展に「蚊帳」「サーニヤ」出品。アトリエ社主催油彩画頒布会。 9月、「小中学生の図画」「方寸時代」(『アトリエ』)。「古今の農民美術」「露西亜の産業的手工芸」「日本における農民美術運動史」(『工芸時代』)。 10月、「帝展と創作版画」(同誌)。 11月、「版画14点」(同誌) |
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| 1928(〃3) | 46 | 3月、「手工科の立場」(未詳)。芝絵画彫刻研究所開設(翌年4月、春陽会研究会発足でそこに合併)。 3月21〜30日、銀座資生堂画廊開設記念展に「初夏の多摩河原」「案山子」出品。燕巣会展に「静物」出品。「槐樹社展」(『美術新論』)。 4月、春陽会展に「温泉場即興」「卓上小品」「ストーブの上のばら」出品。 5月、木下孝則夫妻の媒酌人。 9月5日、著書『図画と手工の話』=日本児童文庫(アルス)刊。 10月、日本学校美術協会設立され相談役に就任。 11月、「帝展画道」(『美術新論』)。このほか『学校美術』誌に「クロッキーの話」など執筆。 談話「血気の仕事」(『学校美術』夏の臨時増刊号) |
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| 1929(〃4) | 47 | 1月、「木口木版と板目木版」(『アトリエ』)。 2月17日、次男次郎生まる。 5月、編著『模様構成の学習』(島美出版部)刊。 4月、春陽会展に「赤い山」「からまつ山」「浅間山」「三角山」「善光寺」出品。「春陽会スナップ」(『学校美術』)。 9月、「序言一美術時評」(『アトリエ』)。 11月、「帝展問題」(同誌)。このほか「机上の空想」「粘土のひねり人形」「教育の進歩と図画用具」など執筆。 『東西素描大成』(アトリエ社)12巻を安田靭彦、小杉未醒、和里三造と編集。 「デッサンに就て」「クロッキー」=『デッサンの研究』(アトリエ社)刊。「美術家を志す人へ」「油絵に就て」「油絵と新緑」=『油面の研究』(同)刊。「長谷川君の仕事」=『長谷川昇滞欧作品集』(同)刊。 |
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| 1930(〃5) | 48 | 1月、『婦人の友』の表紙画、一年間担当。「プロレタリア美術展と西欧民芸展」(『アトリエ』)。 3月、「意匠図案の教育を振興せよ」「小山君の画業」(同誌)。「木口木版に就て」(『学校美術』)。「二科会アンデパンダン展に就て」(東京日日新聞)。 5月、「図案教育へ振り向け」(『学校美術』) 6月、「美術の生産過剰をどうする」「リヨンの憶い出」(『アトリエ』)。「版画の振興に就て」(『美術新論』)。 7月、「美術と政治」(『アトリエ』) 9月、「図画は何処へ行く」(『学校美術』) 10月、「ポーランドの版画」(『アトリエ』) 11月11日、著書『世界工芸美術物語』=日本児童文庫(アルス)刊。『学校美術』誌上展の選者。「手工科の使命」=『図画手工教育講演集』(学校美術協会)刊 |
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| 1931(〃6) | 49 | 1月、「放言二題」)『学校美術』)。このころ「郷土教育の指導精神」=『郷土化の図画手工』(学校美術協会)刊。 1月11日、長野県農実生産組合連合会発足。 4月、「公開状への御返事」(『学校美術』)。 5月、日本農民美術研究所の受講者を徒弟制度に改める。 10月、日本創作版画協会解散し、日本版画協会発足、副会長に就任。 桜商会の株を手離し、役員辞任。自宅にて素焼き「ロシア人形」つくる。 |
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| 1932(〃7) | 50 | 2月、東京・浅草松屋百貨店で郷土芸術作品展。長野県農民美術生産組合連合会事務局、長野県庁副業課へ移る。 3月、東京・銀座・資生堂にて個展。「便船」「たき火」「白菜図」など40点出品。 4月、春陽会展に「梅」出品。 5月、「農民美術研究所の歴史と現況」(信濃毎日新聞、17日から三回)。 7月22日、父一郎死去。 9月、「図画教育」(『岩波講座教育科学』第12巻)。明治神宮絵画館に壁画「日英同盟」納入。 |
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| 1933(〃8) | 51 | 1月、全日本総合美術展(東京・上野松坂屋)に出品 4月、春陽会展に「ばらの花」「卓上の薔薇」「白菜と玉葱」「アルプスの農家」出品。森田恒友『平野随筆』装丁。「兄事する事30年」(『アトリエ』) 8月、足立源一郎と二人展(札幌市・今井百貨店)。 9月、パリ日本現代版画展国内展に旧作出品。リトグラフ「山鳩」制作。 |
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