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上田市山本鼎記念館は、1962(昭和37年)年10月8日に開館した。
山本鼎は64年に近い生涯のなかでたくさんの仕事をした。それらの仕事と、理想実現のための行動力の根底にあったのは、日本の民衆の文化水準をヨーロッパ先進国の国民の文化水準にまで高めようとの強い念願と情熱であった。
多くの仕事のうち、子どもの美術教育方法の変革をめざした児童自由画教育運動と、芸術とは無関係な生活をしていた農民(大正中期、国民の大部分は農民であった)に、芸術に親しみ、それを作り出すよろこびを与え、その上、副収入を得られるようにしようとした農民美術運動の二つの運動は、上田市神川小学校を発祥地として全国にひろがったのであった。
1956年ごろから日本農民美術研究所に学んだ人々の間から、山本鼎の業績を将来に伝える農民美術センター建設の気運が起こった。この構想がふくらんで、中村実を中心に1958年暮に山本鼎記念館建設方針が決定。翌年1月に小 杉放庵、箱山貴太郎神川小学校教頭ほか執筆の趣意書が印刷され、農民美術、学校教育関係者に配布された。
同年4月、掘込義雄が上田市長に当選したのを機会に、上田市でもこの建設運動に協力することにきまり、市教育委員会内に事務局が置かれ、設立委員会ができ、中村実、山越脩蔵ら神川地区の人々が中心になって募金活動が展開された。
山本鼎と知り合いであった鶴田吾郎、川島理一郎、大久保泰、足立源一郎や趣意に賛成した倉田三郎、藤川栄子、松本弘二、沖田好江、鬼塚金平、小川マリ、田中忠雄、南大路一ほか多くの美術家からは絵画や資金が寄せられ、長野県農民美術連合会からは50万円の寄付があったほか、長野県内の小学生からも10円募金があり、長野県から補助金が支出され、上田市は現在地を敷地として提供した。
こうして、山本勝巳(山本薩夫映画監督の兄)の設計により約2,000万円の建設費をかけ竣工、山本鼎の17回忌を期して開館式を挙行。席上、上田市へ寄贈され、上田市山本鼎記念館として発足したのである。
館内には、山本鼎の油彩、水彩、版画のほか、児童自由画教育、農民美術に関する多くの資料が保管展示されている。
特別展が随時開催され、また、絵画、木彫、版画教室が定期的に開かれ、市内外の人々が受講しているのが特色である。
| 竣工 |
昭和37年10月8日 |
| 収蔵資料 |
約1,800点 |
| 建物面積 |
1階 |
221.48m2 |
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2階 |
307.43m2 |
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合計 |
528.91m2 |
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