文化財の詳細情報

小松姫の墓(芳泉寺)


小松姫の墓

小松姫は、徳川家康の重臣本多忠勝の娘として生まれ、家康の養女となって、真田昌幸の長男信之(幸)に嫁ぎました。信之夫人として迎えられた事情について、次のような逸話〔いつわ〕が伝えられています。

小松姫は、才色兼備〔さいしょくけんび〕をもってきこえ、家康が若い大名を列座させて婿〔むこ〕を選ばせたところ、家康を前にして恐れる大名が多かった中に、最も落ちついて堂々とした動作の信之を見て、小松姫自身が心を動かされ進んで信之を選んだということです。

真田家が乱世を生きるむずかしい時に、信之が進退をら誤らないで、真田家十万石の基〔もとい〕をつくったのは、この夫人の内助の功によるところが大きいといわれています。


芳泉号墓地に眠る小松姫の墓

小松姫は元和〔げんな〕六年(1626)病気療養〔りょうよう〕のため、江戸を出て草津温泉(群馬県)へ向かう途中、二月二十四日鴻巣〔こうのす〕(埼玉県鴻巣市)で亡くなりました。これを聞いた信之は「わが家の燈火〔ともしび〕が消えたり。」といって悲しんだということです。

遺骨〔いこつ〕は信之が菩提寺〔ぼだいじ〕としていました「常福寺」(現芳泉寺)に葬〔ほうむ〕られました。芳泉寺本堂裏の墓地に建てられているりっぱな宝筐印塔〔ほうきょういんとう〕が、小松姫の墓です。石塔の高さ3m余、塔身と下壇の石に姫の経歴が刻まれています。その終わりに「元和七年三月廿四日施主信之」と記されています(*)。

市指定 史跡
昭和45.5.11
所在地
常盤城3-7-48
所有者
芳泉寺
元和7年