天正10年(1582)3月12日 真田昌幸宛北条氏邦書状
 昌幸は武田氏の滅亡直前、上野八崎城主長尾入道憲景に2度にわたって手紙を送り、北条氏に臣属したい旨を申し入れていた。それにつき、北条氏邦から昌幸に宛てた返事であり、いわゆる密書である。「(昌幸の)手紙の趣は誠にもっともである。今度の武田家の没落は是非もないことだ。北条氏直に属して忠信を励むのは、この時ときわまった」と述べている。
 3月12日は主君武田勝頼が甲州田野に果てた翌日であり、その滅亡前から武田氏を見限って北条氏に臣属を打診していたという昌幸の動きがわかる珍しい文書である。


上田市大手町
正村鉄夫氏蔵
未だ申し通ぜず候といえども、啓達候。よって八崎長尾入道へ両度の御状披見。紙上の趣誠に簡要至極に存じ候。今度甲府の御仕合是非なく候。然るに氏直おのおの御譜代の筋目に付いて、箕輪のおのおの和田先忠なされ候。貴所へも箕輪(内藤昌月)より意見あるべき由候つる間、如何にも最の段返答せしめ候。然るところ八崎へ御状ども披見せしめ候の間、此の度申し入れ候。氏直へ御忠信此の時に相極まり候。恐々謹言。
三月十二日(天正十年) 安房守
真田(昌幸)殿
御宿所 氏邦(北條)(花押)