天正18年(1590)4月14日 真田昌幸・同信之宛豊臣秀吉書状
 真田昌幸・信之父子は、4月7日付けの書状で、上杉景勝・前田利家とともに、北条方の上野国松井田城を攻囲している情況を報告した。これに対して秀吉から、小田原の様子を伝えるとともに、松井田城を、弥々いよいよ油断なく攻め落とすように、と激励したもの。


長野市松代
真田宝物館蔵
去る七日の返札、昨日十三披見候。小田原表の儀、先書に仰せ遣はさる如く、去る五日御座を移され候。然らば、先手の間二町三町宛堀・土居、塀・柵二重に付け廻し、小屋の町作に候て、番所丈夫に申し付け、急ぎ人数持は居所の堀を拵へ半ばに候。その方動の様子聞き届け候。上野国中にこれある松井田根小屋悉く焼き払い、すなはち取り巻きこれあるの由、尤に候。当表の人数別に入ることこれなく候の間、心静かに申し付け、討ち果すべく候。景勝(上杉)利家(前田)と相談せしめ、いよいよ油断あるべからざる義肝要に候。なほ石田治部少輔(三成)申すべく候なり。
  夘月(天正十八年)十四日
(花押)(豊臣秀吉)
  眞田安房守とのへ
  同 源三郎とのへ