元和8年(1622)10月13日 出浦対馬守宛真田信之書状
 真田氏が上田から松代へ移されたときの情況を知る、二つとない貴重史料。
 上田から江戸に呼び出され、松代へ転封を命ぜられた信之が、帰国の途中、鴻ノ巣宿より、その家臣出浦昌相に宛てた書状である。
 本文の中では、過分な領地を拝領しての松城(松代)移封を、将軍直々に命ぜられ、誠に幸せの至りであると述べながら、追って書き(尚々書き)では、もはや自分も老後に及び、上意でもあり、子孫のためでもあるから、命令どおり、松城へ移ることにする、心配しないでほしい。と記している。この追って書きの部分が、信之の本心でもあろうか。
 真田氏はもちろん、家臣団も先祖以来の地を離れざるを得ないわけで、彼らにもかなりの動揺があったものと思われる。それを配慮しての附記でもあろう。


長野市松代
矢野磐氏蔵
尚々、我等事もはや老後に及び、万事入らざる儀と分別せしめ候へども、上意と申し、子孫の為に候条、御諚に任せ松城へ相移る事に候。様子に於ては心易かるべく候。以上。
去る十一日の書状鴻巣(武蔵)に参着、披見候。仍って今度召しに付いて、不図ふと参府仕るところに、河中嶋に於て過分の御知行拝領せしめ候。殊に松城の儀は名城と申し、北国かな目の(要)害に候間、我等に罷り越し御仕置き申し付くべきの由、仰せ出だされ候。彼の表の儀は拙者に任せ置かるるの旨、御直に条々、御諚候。誠に家の面目外実共に残る所なき仕合せにて、今十三日鴻巣に至って帰路せしめ候。先づ上田迄罷り越すべく候間、其の節申すべき事これる儀、一角所迄遣わされ候。祝着に候。猶、後音を期す。謹言。
       伊豆守
 十月十三日  信之(花押)
  出浦対馬守殿